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天空海闊(てんくうかいかつ)。

このコトバを、先日の新聞(日経/20190511/土曜版)記事の中に見つけた。
太平洋戦争終戦時の内閣総理大臣▪鈴木貫太郎が座右の銘にしていたという四文字熟語だ。
本人により毛筆されたこの熟語、これを書にした掛け軸が、千葉県野田市の記念館に寄贈された。と報じていた。

そして、この書は壮絶な背景の中で生まれたことを知る。
1945年(昭和20年)8月15日、終戦当日の朝。
昭和天皇の朗読による玉音放送(当日正午)を控えた、その日の早朝。
時の首相・鈴木貫太郎の邸宅は、終戦を反対する一派から襲撃を受ける。
貫太郎は、間一髪で首相専用車に乗り込み自宅を後に。
その直後に襲撃隊が到着、鈴木邸は焼き払われたらしい。
内閣府付けの専属運転手と伴に貫太郎は、都内を逃避行、知人宅で10日間ほど身を潜めた。
その知人宅で冒頭の熟語を書にしたため、専属運転手にその労をねぎらって贈ったものだという。
それから70年超の時が過ぎ、専属運転手の遺族が、千葉県の鈴木貫太郎記念館に寄贈した。  

なんとも、壮絶な環境の元で書かれた4文字熟語だった。
この意味を探ってみる。

大空にさえぎるものがなく、海が広々と果てしなく大きいこと。
なんのわだかまりもなく、心が広々としていて度量が大きく、包容力に富むこと。
また、言葉や発想などが限りなく広がることのたとえ。

なんと、ココロ引かれる意味合いなのだろう。
新聞では、「空や海が広々としているように、おおらかに生きよ」という意味を込めたのでは、と伝えていた。
この熟語を、緊迫した最中に逃避行先でよくぞ書いたものだと、鈴木貫太郎に敬服する。
なんと胆力ある御仁だと感服してしまう。

(イメージ写真下に続く)

そして、この熟語の用例が夏目漱石の「我輩は猫である」の中にあると、ネットで知った。
猫である吾輩のコトバ。
人間とは天空海闊の世界を、我からと縮めて、おのれの立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように、小刀細工で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだ。

どうも、判りにくい。
ネコ目線では、「ヒトってやつは、広い世界に居ながらココロに小さく縄張りして、なんと器量が狭い!」
ってことなのだろうか?
ネコは自由奔放、自由闊達、飼い猫でもご主人様であるはずのヒトにこびない。
おネコ様は、天空快闊の世界を知っているのだ。と言っているのだろう。

それは、ブログを立ち上げて最初の記事だ。
その記事では「吾輩は猫である」のフレーズを借りて書き始め、
続いて、植木等の唄に憧れていることを書いた。
『だまって俺についてこい』 
 ◎銭(ゼニ)のないヤッツあ、俺んとこへ来い、
  俺もないけど、心配すんな。
  みろよ、あおい空しろい雲
  そのうちなんとか、なるだろう◎

この唄は、まさしく『天空海闊(てんくうかいかつ)』な世界観を表現していた
のではと、思い始めている。

初投稿の記事に、吾輩は、荒凡夫でありたい。と記した。
次のとおり、訂正したい。
吾輩は、「天空海闊」な荒凡夫でありたい。


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FP事務所 ネクストプレイン


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最終更新日2019-05-18
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