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【素浪人スーダラLOG】
 バリバリ昭和の素浪人が綴ります。

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昭和50年。今から約40年以上前。
田舎から上京して、
初めて月刊情報紙なるモノを知り、買い求めた。
「ぴあ」、100円。
首都圏の映画、コンサート、芝居などエンタメ系の公演日程等が掲載された情報紙だ。
まだ創刊後、間もなかったのではないか。

その当時、当然にインターネットは存在していない。
そんな昭和の時代には、街の情報紙は貴重だった。
「ぴあ」が唯一のエンタメ情報紙で、その後は毎号を買っていた。
買い求めると食い入るように見て、赤ペンでチェックした。

表紙も独特のデザインで斬新だった。
今しがた、ネット検索すると「及川正通」氏のデザイン。とある。
ネットには、当時のぴあの表紙デザインもUPされていて、
「そう、これこれ」とつい声が出てしまう。
 
同年代の方々にも、相槌を打っていただけるのではないか。

映画芝居、コンサートなど東京首都圏のエンタメ情報が掲載されていたものの、まだ、頁数もさほど多くなく、今のスマホの厚さ程度だった。

新宿には、多くの映画館があった。
歌舞伎町と新宿3丁目あたりに集中して開館していたように記憶している。

(イメージ写真下に、続く)


当時は、土曜日限定でオールナイト上映していた。
夜10時開映で、邦画・洋画様々な5本の連続上映で1,000円。
5本目の幕が降りるのは、翌日明け方概ね5時だった。
 
最初の2、3本は観ているのだが、毎度途中で寝てしまい、5本全部最後まで観きった記憶はない。
街が起き始める明け方に、半目で生あくび頻発状態の中で映画館を追い出される。
新宿駅に向かい、始発電車に乗って下宿先へ帰っていた。

余談ながら、下宿先は、小田急線・読売ランド前駅から徒歩10分程度の2階建ての木造の一般住宅。
一階には大家さんが住み、2階の3部屋に3人の下宿人が間借りしていた。4畳半一間、月8,000円だった。

さて、東京・新宿・歌舞伎町。
その昔、歌舞伎小屋の建設計画があったと聞いているが、そのせいかコマ劇など劇場も多かった。

当時、アングラ(アンダーグランド/メジャでない)芝居が活況で、正統派演劇とは異なった風を小劇場から送り込んでいた。

時が少々下って、新宿区役所横の花園神社境内に、唐十郎が紅テントを再び張った。テント内では、李麗仙が体を張って舞台を演じていた。

テント内観客席では、換気は効かない。
前後左右に座る人たちとの間に寸分の余裕もなく、それぞれが足を窮屈に折ってブルーシート上に座っていた。
酸欠になりそうなテントの中で、額ににじり汗かきながら、見入っていた。
そんな事を思い出す。

ある芝居のエンディング。
爆音響と伴に、舞台背後のテント幕が突然に開け放たれ、
その先に突如、鮮烈なスポットライトを浴びて、黄色い大型重機が現れた。
重機上部の運転席とそれに連なる大型シャベルが
爆音響を背にブヲーンと唸り声をあげ、360度旋回し続ける。
そして、李麗仙 が その大型シャベルに乗って回っていた。
髪と衣装を風にたなびかせ、片手を宙に差し出して、、

新宿・花園神社という大劇場での鮮烈な思い出だ。

そして半世紀の時を経て、今月14日に、VR(バーチャル・リアリティ)体験施設がオープンした。

東京・新宿は、エンターテイメントが面白い。


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/ FP事務所 ネクストプレイン /

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