小説「命売ります」、作家:三島由紀夫が執筆した頃を想う。
先日観た舞台「命売ります」の原作に引き付けられる。
原作者は、「金閣寺」、「潮騒」など純文学小説家であり、また劇作家でもあった三島由紀夫。
そして、1963(昭和38年)にノーベル文学賞の最終選考の対象になっていたと伝えられている。
当時から50年経過した2014(平成26年)に、スウェーデンアカデミーが関連資料を公開したのだ。
更に、1970(昭和45年)に東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で総監を拘束した上で割腹自決した小説家(享年45歳)でもある。
(イメージ写真下に続く)

舞台「命売ります」を観た後に、原作に興味を持ち文庫本(筑摩書房)を買い求めた。
ネットでも少々探索してみる。
この小説は、割腹自殺の2年程前(1968年/昭和43年)、週刊誌(週刊プレイボーイ)に連載。
連載が始まる2ヶ月程前には、関係者と血盟状を交わし、自衛隊に体験入隊。
血盟状には、以下のコトバが連なっていた。という。
『誓 昭和四十三年二月二十五日 我等ハ 大和男児ノ矜リトスル 武士ノ心ヲ以テ 皇国ノ礎トナラン事ヲ誓フ』
そして連載開始1ヶ月前には、楯の会(三島が結成した民間防衛集団)のオリジナルの制服も出来上がっていた、らしい。
本小説の連載直前に、過激な活動を続けていた小説家・三島由紀夫。
いかなるココロ持ちで、小説「命売ります」の構想を練り執筆準備をしていたのであろう。
益々激たる気持ちで日々を過ごしていたのだろうか。
死を賭けた行動へ向かう中で、真逆に生への執着が無意識に芽生え、抗(あらが)っていたのだろうか。
または、精神的な重圧の中で、男性向け週刊誌に連載することで息抜きしたかったのだろうか。
本小説の執筆当時、三島は、
『生』き方を『死』の在り方を、模索し、彷徨い思考していたのではないか。
必死の思考の傍らで、この「命売ります」エンターテイメント小説を書いたのだろうか。
リアルに生きた作家の生き様と、空想に生きた小説の主人公の生き様のギャップに気が付く。
「確固たる意志を持って」、『死』に向かい、『死』を達成した作家。
「成り行き任せ」で、『死』を目指すも、『生き』続けた小説の主人公。
(ちなみに今、樹木希林著の「一切なりゆき」が爆売れしているようだ。)
この2者、つらつらと背景情報を後追し対比する程に、本作品が興味深くなってくる。
(追記)
原作者三島由紀夫が割腹自決する1週間程前。
当時の話を、某TV局の歴史番組のディレクターから、偶然にも過日聞く機会を得た。
1970に某ディレクター(当時)が「高杉晋作」をテーマにした番組制作を企画し、高杉をよく知っているとされる「三島由紀夫」に出演交渉。
が、“三島は高杉に興味を示さず、出演の許諾が得られなかった”と言う。
その時、三島は「久坂玄随(くさかげんずい)にテーマ変更するのであれば出演する。」と返答したようだ。
結局「高杉晋作」をテーマとした歴史番組への三島由紀夫の出演は、幻になった、という。
そして出演交渉の数日後に、三島は自刃(じじん)する。
この「久坂玄随」、長州一の秀才と吉田松陰から称され、蛤(はまぐり)御門の変で自刃した勤皇攘夷に活動した志士である。
三島は研究し、知見も得ているハズだ。
この小説『命売ります』に、「久坂玄随」精神が反映されているのかを知る由(よし)もない。
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