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「哲学的?」と感じた映画「娼年(しょうねん)」

上映始まってさほど経過していない頃、ボーイズクラブの美人オーナー(真飛聖)が娼年候補生に言った。
「人間は探しているものしか見つけない」
この映画で記憶に残ったコトバだ。
この言葉に、この映画は哲学的?と、なんとなしに感じる。

この言葉を受け取った少年(松坂桃季)は、その後娼年への扉を開きその世界に踏み込んでいく。

娼年は、相手が抱えた欲望を全身で探る。
密室で相手から明かされる欲望を否定しない。
欲望を受け入れ、細心の注意を払いながらも機敏に対応していく。
人の欲望は、それぞれが背負ってきた人生に拘わっている。
人生の表舞台に出てこない相手の性的欲望に、娼年は丁寧に真摯に応えていく。
そんな描写が続いていた。

構成・編集の仕方ひとつで、アダルトビデオにもなりかねない映像を
映画として成り立たせたのは、作家(監督であり脚本家の三浦大輔:横浜DeNAハマの番長(引退)でない!)の作品に対する姿勢だ。

無手勝流に解釈すれば、それは「欲望の本質を探る。」という哲学的姿勢。
哲学とは、本質を問い、考え抜くコト。とすれば、
この映画では、まさに性に対する「欲望の本質」を探り、その経過を表現しようとしたのではないだろうか。

(イメージ写真下に続く)

欲望の発火点は人。
劇中要所、要所で、登場人物の顔がドアップで、スクリーン一杯に映し出されていた。
ぎらついていない無色の顔。
スクリーン全面に写しだされる人の顔は、
性に対する欲望は、人とのコミュニケーションに対する究極の欲望と同意語なのではないか。と想起させる。

性に対する欲望のカタチは様々だ。
カタチは様々でも、まず相手を受け入れるコト。
相手の呼吸を読み、相手の反応に併せ、全身で双方向のコミュ二ケーションを取るコト。
そんな学びを少年は重ねる。

そして当初「つまらない。退屈だ」と言っていた少年は、VIP向け「娼年」となっていく。

映画を観た後、原作を読みたくなった。
映画を観た翌日、原作である石田衣良の本を始めて手にする。
映画とは若干温度差を感じて読み終えた。

映画では哲学的アプローチを感じたが、原作本からは人のぬくもり、優しさを感じ取る。
作品に対する目線が異なるからなのだろうか。
異なる目線による作品は、大歓迎。
映画、原作本、伴に堪能させてもらった。
感謝。


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/ FP事務所 ネクストプレイン /



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