「人生100年時代」を探る(3)。織田信長は「人間50年」と舞い謡った。原点は源平合戦だった。
人生50年?
テレビドラマの中で、この言葉を発して舞う戦国武将がいた。
かすかな記憶。
見たのは、NHKの大河ドラマだったか?
大河ドラマの中で、戦国の武将が能舞台で謡っていた。
戦国時代の武将、織田信長。
幼少時に「大うつけもの」と呼ばれるも、天下統一に向け走り抜けた尾張の希代の大名。
(*うつけ=空っぽ、ぼんやりした人、常識はずれ・奇抜な振舞いする人)
群雄割拠の戦国時代に生き、収束させる道筋を付けた。
改めて、ネットで検索してみる。
織田信長が舞い謡っていたのは、出陣の時に好んで演じたとされる幸若舞「敦盛(あつもり)」だ。
そこに出てくるワンフレーズだった。
『人間(じんかん)50年』
時に、桶狭間の戦い(1560年)。
今川義元軍、手勢 25,000。
織田信長軍、手勢 4,000。
圧倒的不利な戦況の出陣前夜、清州城にて舞い謡ったといわれている。
人間(じんかん)50年
下天(げてん)のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、
ネットに掲載されている方々の言葉をかりると、その意味は、
人の世の50年間は、天界の時間と比較すれば、夢幻のようだ。はかない。
(*)一般に、「下天」と表記されていたが、他の字が適用されている解説もあった。
「信長公記」では、「下天」らしい。
「化天(げてん」)として、仏教の世界観の中でイメージされる空間のひとつと解説されているサイトもある。
桶狭間の戦いには勝利し、その後躍進したものの、志半ばに無念にも本能寺で絶命する。
織田信長、48歳。享年49歳の事だった。
(イメージ写真の下に続く)

改めて、信長が舞ったという「敦盛(あつもり)/人間50年・・・」を探ってみた。
時は更に遡(さかのぼ)る。
敦盛とは、平安時代の武将で、平清盛(きよもり)の弟の末っ子の名前だった。
源平合戦の一ノ谷の戦(1184年)。
平家方に勢いがなくなり、敗走の最中、
敗走中の平敦盛(たいらあつもり)と源氏方の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)が対峙する。
一騎打ち。
百選練磨の直実は敦盛を組み伏し、そこに年若き若武者を見る。
直実は、紅顔の若武者を討ち取ることに躊躇する。
一騎打ちを取り巻く武将から、躊躇してる直実に対し「直実に二心あり」と声が上がったという。
味方陣営の目もあり、熊谷直実はやむなく平敦盛を討ち取る。
討ち取られた平敦盛は元服まもない16歳。
実は、この討ち取った武将(直実)にも息子がいた。同い歳の16歳。
一ノ谷の戦において、源氏方は勝利したが、
武将(直実)は、息子と同じ齢の年若き武者「敦盛(あつもり)」を討ち取ったことに苦しむ。
そして、後に出家したという。
「人間50年」で始まるこの一節(敦盛:あつもり)は、その熊谷直実の心境を写し取ったものだった。
この一節が、直実自身の言葉なのか、後世の作者による言葉なのか、判らない。
奇しくも今年の始めに、「一ノ谷の戦」を月イチ歌舞伎で観ていた。
今、平成、「人生100年時代」。
戦国時代、「人間50年」。
生きる時間は2倍になった。
生きる濃度(質)は、半分になったのだろうか。2倍になったのだろうか。
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/ FP事務所 ネクストプレイン /
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