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『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)』

タイトルがよくわからずに観てきたが、どうも腑に落ちず、語句をネットで調べてみた。

2つの言葉に分かれている。
まず、始めのコトバ、「籠釣瓶(かごつるべ)」
「籠釣瓶(かごつるべ)」とは、刀の名前だった。
そもそも籠釣瓶とは、籠で作られた釣瓶(井戸の水をくむための桶)。
それは、水を汲んでも素早く一瞬にして水が漏れることから、その素早さを刀の切れ味に例えたらしい。
切れ味鋭いそんな刀(籠釣瓶)は、男が以前浪人を家に招いてお世話した時に、お礼に授かったモノだったが、実は相当の因縁を持っていた。という設定だ。
ひとたび刀を抜いたら血を見ないではすまない。という因縁らしい。
そんな因縁ある刀の名前だった。

舞台終盤、刀は風呂敷に包まれた長細い木箱に入って、男と伴に人知れずに登場していた。
花魁(おいらん)に袖を降られ面目をつぶされた男は、しばらく経った後、心機一転と称して刀と伴に花街に姿を表したのだ。
取り巻きが座敷を離れ、花魁と男が2人になった時に、因縁ある刀は姿を現す。
木箱から取り出され、その直後に光と血しぶきを放った刀、
それが、籠釣瓶だったのだ。

そして、その言葉に続く「花街酔醒(さとのえいざめ)」。
これは観た後だけに、分かる。
花街で飲んで騒いで、そして酔いが醒(さ)める。ということ。

その花街とは、江戸・吉原遊郭。
(元吉原は日本橋界隈だが、移転後の新吉原(東京・浅草)が舞台だったのではと、手前勝手に解釈。
元吉原の頃、最高位は太夫(たゆう)と称され、新吉原への移転後に花魁(おいらん)と称されていたようだ。)

(イメージ写真下に続く)

男は、はじめて入る遊郭、はじめてみる花魁道中で花魁に一目ぼれ。
男は、花街・吉原遊郭で夢心地。
夢心地の後、因縁の刀が抜かれ、人情沙汰になった。という筋の演目。
演目と筋目が、ようやく一気通貫。
スッキリした。

花魁(おいらん)と夢見るアバタ顔の男。
この二人がみせる意地、
そして意地を通そうとする命懸けの覚悟が舞台でバトルする。

面白かった。
舞台カメラを通して、スクリーンからそのエネルギーは放出されていた。

そのエネルギーを放出した主は、
今は亡き名優中村勘三郎と、
世界で活躍する女形の世界に冠たる坂東玉三郎。

中村勘三郎が演ずる酔醒な男、と坂東玉三郎が演ずる花魁(おいらん)。

十七代目中村勘三郎の23回忌、さらに旧歌舞伎座さよなら公演だったこともあり、
この豪華な配役となったらしい。

加えて、中村勘三郎の息子たち。
中村勘九郎、七之助。
息子・勘九郎は、勘三郎演じる男・主人に連れられた用人を演じていた
男・主人(勘三郎)が花魁(玉三郎)に振られた時、用人(勘九郎)は顔くしゃくしゃにして、涙を鼻水を垂らして主人に共感し同調する。
大熱演だ。
なんとなしに、オヤジ勘三郎の面影が一瞬よぎった。
いつの日か、親父、勘三郎に匹敵するような名優になるのだろう。
そんな気配を感じた舞台(スクリーン)だ。

時の江戸、吉原遊郭。
花魁(おいらん)は、様々な芸事を極め高い教養をもち、業界ピラミッドの頂点にいたという。
今で言うところの銀座の超高級バー、政財界人向けハイソな世界の社交場でのNO1だったのではないか。
教養を重ね、顧客とさりげなく話を繋いでいく。
花魁は、そんな如才ない才女だったのだろう。

夢心地になるまでには、随分と費用とエネルギーが必要だったようだ。
3度通って、ようやく一夜を伴に出来た。という。
そして気に入らぬ客とは、どんなに金を積まれようが、事に至らなかっとという。

文庫本:江戸の家計簿(磯田道史著)によれば、
花魁を呼び、取り巻きにも一緒に酒や肴を振舞って豪遊すると、一晩で1,000万円掛かった。という。
(当時の一両を30万円相当で換算)
そんな時代に、そんな夢心地を得るためのコストは、半端でなかった。

一般庶民にとってそんな夢心地を、
夢心地後の、女と男の意地を、
そして酔狂を、
舞台を通してスクリーンをとおして、2,100円で体感させてもらった。

素晴らしきかな、中村勘三郎。
素晴らしきかな、阪東玉三郎。
素晴らしきかな、「月イチ歌舞伎シネマ」。


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