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邦画「花筐(はながたみ)」。

先週、東京・有楽町のスバル座で観た。
壇一雄原作、大林宣彦監督の作品だ。
十年以上の昔にDVDで観た映画「火宅の人(原作:檀一雄)」が強烈な印象として残っている。

観終わって、うーーーん。
なかなか手ごわい映画だった。
独断と偏見で綴ってみる。

昭和16年前後の戦争前夜、
大東亜戦争開戦前、時代に翻弄されつつも自分を生きた学生達の物語。

基調は、楽。
カット、カットの合間に鼓(つづみ)の相の手が入り、松を背景とするシーンが度々。
舞台をイメージさせる。
実は、「花筐(はながたみ)」は楽の演目でもある。ことを後日知った。

「花筐(はながたみ)」とは、花を摘んで入れるかご、花かご。だそうだ。
そして、楽の「花筐(はながたみ)」では、時の皇子が、天皇即位のため京に上る際、寵愛した女性に生き別れのしるし形見(かたみ)として愛用していた花筐(はながたみ)を届ける。
がその後、女性は天皇を追い、また再び寵愛された。のだという。
そして、「花筐」という言葉は、愛しい人の愛用の品という意味。と言われているらしい。

このの筋目がこの映画にオーバーラップされているのだろうか。
人にとって、花筐とは運命?
人は運命の中で生かされているのだろうか。
映画の中、様々な運命を負った若き学生達は、青春をもがき、あがく。
そんな人間模様がてんこ盛り。

映画では、伝統芸な風情の中にコミカルなタッチが散りばめられている。
様々な対比の中で描かれていた。

●コミカル vs エロス。
人は、なんとコミカルな人生を過ごすのだろう。
コミカルに写しだされる人の営みの中に、ほのかなエロスが表出していた。
女と男、男と男、女と女。
愛のカタチは様々なのか。

●海 vs 血。
海。命の源?
命の源へ還ろうと、あがく若者たち。
そして、若者がしたたらせる血。そこここに写し出される。
未来ある命を傷つける血。
若き命を散り行かせる血。
新たなる命を吹き込む血。

●動 vs 静
世情が緊迫していく中で、人はあがく。
精一杯あがき、ひと呼吸して、腹を据える。

●体制 vs 抵抗 
体制に順応していることを装いながらも、
マルクスの本(資本論?)を密かに持つ英語の先生。
開戦直後に前線に送られて行った。

(イメージ写真下に続く)

ひとは、知らず知らずの中で、花筐を贈り、贈られ生きている。
そして、さまざまな色・カタチの花筐は、意識的に、また無意識に贈り、贈られる。
なかには、こころ踊り、生のエネルギーをたっぷり充填させてくれるモノ。
なかには、ココロ萎え、負のエネルギーに浸り沈殿させてしまうモノ。
人生の中で受け取る花筐は、様々だ。

「花筐(はながたみ)」を形見(かたみ)として送ること、受け取ることもあるかもしれない。
送った花筐は相手に抱いてもらえる、と信じて贈る人、
受け取った花筐は送った人の形見だ、と信じて受け取る人、

そんな花筐は、人を生かす。のかもしれない。
そして、そんな花筐によって、人は生きていく。のかもしれない。
命の源とする花筐を失った時、、、人はエネルギーを失う。

と、銀幕の中から「花筐(はながたみ)」が語りかけてきた。


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/ FP事務所 ネクストプレイン /



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