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高麗屋・親子3代が揃って同時襲名披露があった。というニュースを聞く。
松本白鶲、松本幸四郎、石川染五郎。

そんなニュースに触発され、新春うららかな正月3日に月イチ歌舞伎シネマを観に出向いた。

今月は、『一谷嫩(いちのたにふたば)軍記・熊谷(くまがい)陣屋』

実は一昨年前の9月、同じ演目「一谷嫩(ふたば)軍記」を文楽で観た。
当時、過去に生「文楽」を観たことなく、一度見たいと思っていたそんな時に公演された演目だ。
平成28年、国立劇場開場50周年記念で掛けられた文楽のラインアップだった。

それは、2日間かけて演じられ、
各日昼前の11時に幕開き、16時半に幕が引かれる。それが2日間。
通算延べ8時間程度の長丁場だった。
演じる方々も大変だが、観る方も大変だ。
なかなか集中力が続かない。
もともと知らない、判らない。のだから、
この2日間は、初体験だったこともありそれなり面白かったが、正直、よくわからなかった。

今回、リベンジしようと思っていた。
同じ演目ながら、文楽で、歌舞伎でそれぞれに行われる演目も少なくない。
以前観たものは、「文楽」によるリアルな演目。
一谷嫩(いちのたにふたば)軍記、一段目から三段目まで通しの2日間の長丁場だった。
今回観たものは、「歌舞伎」演目を映画に編集したモノ。
一谷嫩(いちのたにふたば)軍記の中で、特定場面(熊谷陣屋)を切り出した2時間モノで、高精細ドアップ画面満載の映画だ。

今回まだ仔細は判らなかったが、大いに感じることはできた。

(イメージ写真下に続く)

時は、平安時代末期。源平合戦の中の一場面だ。
源義経の家臣で、埼玉・熊谷(くまがや)の在に勢力を持つ熊谷(くまがい)次郎直実が主人公。

義経の元、平家追討に参戦した熊谷直実は、時に敵方の大将・若武者と対峙し、首をとる。
その後、熊谷の陣屋へやってきた主の源義経(みなもとよしつね)が首実検。

首桶の中は、敵方大将の首は無く、ナント義経の家臣・熊谷(くまがい)の息子の首だ。

が、義経は家臣の息子の首と知りながら、敵方大将・若武者の首として検分。
よくぞ討ったぞ、と。

前半にそのからくりがあった。

熊谷は、裏の意味(密命)を含む高札を、戦さ前に義経から授かっていた。
高札には、「一枝を切らば、一指を切るべし」
みごとな桜の枝を切る者に対して、その者の指を切り取るべし。
と、須磨の陣屋の桜の若木の守りを命じられる。

熊谷が忖度した密命(真意)は、
「一子を切らば、一子を切るべし」
敵方・平家の大将は、時の皇の血をひいて生まれた子だ。
その時がきたら、敵方の大将は切らず、身代わりに自分の子供を切れ。だ。

熊谷は、主君の意図を忖度(そんたく)し、忠節を尽くす。
熊谷は、その時を迎え、敵方大将の身代わりとして初陣に出た我が息子を切ったのだ。

父の心情。
息子の心情。
親子の心情を思うと、たまらない。
涙なくして、観ていられない。

それ程に、忠義は重いのか。
それが、武士として生きる「道」なのか。
不条理な世界だ。
そして、熊谷(くまがい)次郎直実は、上司の義経に暇乞いし、僧侶となって別れていく。

エンディングで、僧侶姿になりひとりになった熊谷は、苦悶の心情をあらわにする。
悲しみに、己が行いし所業に悶絶しながら花道を下がる。
人間国宝、二代目中村吉右衛門の心情あふれる体を張った役者っぷりだ。

存分に楽しめた。
実は、観た後に知った事がある。

この話には、実話に創作が加わり脚本化されたとの事。
史実では熊谷は、敵方・若大将を討ち取っているようだ。
作家・並木宗輔は、もし敵将を助け、身代わりに息子を切ったとしたら、、と創作したらしい。
よくできた本だ。

これを知って、安堵、安堵。よかった。
そんな不条理があっていいハズがない。と。
どんな時代でも、子供は宝だ。

一方、現実の今の世の中。
子供の泣き声がうるさいと、ウザイと、殴る、蹴る、落とす、そんなニュースを時に聞く。
どんな時代でも、子供は宝なのに、


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/ FP事務所 ネクストプレイン /






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